コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

冷や水ぶっかけ甲子園

 夏といえば甲子園。厳しい予選を潜り抜け見事夢の舞台に立った高校球児達。彼らのさらなる夢をかけた熱き闘いは全試合が全国中継され、青春のすべてを野球に注いだ若人達の汗と涙が見る人々の心を震わせるのである。

 であるからして、見る側としては感動を生まない高校球児なんて甲子園の舞台にふさわしくない不届きものであって、もっとテレビの出演者としての自覚を持った行動をとるべきであるという意見がある。もちろんそこまでダイレクトにタレントとして球児を扱う人は少ないだろうが、実際のところ試合をする当人達以外の多くにとってはショースポーツとして高校野球は存在するのだろう。

 

 高校野球では野球のルールとは別に高校球児らしいプレーか否かも判定され、否と判断されれば野球のルールがどうだろうがその行為は厳重注意となり、要するに禁止とされる、らしい。去年はファールを打って粘るという行為が高校球児のとるべきでない実に卑劣で姑息な振る舞いであると判断され、青春を注いで磨き上げたバッティング術を大会の途中から封印させられるという球児がいた。今年は点差が大きく離れているのに盗塁という奇襲、攪乱策によって全力で追加点を上げようとする姿勢や、超スローボールという人を食ったような球を投げるピッチャーなどが高校球児にあるまじきなんとやらだと物議を醸しているらしい。

 どこぞかの地方予選決勝では9回に8点差をひっくり返す大波乱が話題になった。ひっくり返された方が情けないという意見もあるだろうが、このような劇的な幕切れこそ高校野球の醍醐味である、という意見は強い。けれども点を取れるだけ取るという姿勢は好まれない。取る側には逆転が起こりうる範囲にとどめる、相手の気力を削がないことなどの細やかな演出力が求められているようだ。

ならば同時に追加オーダーとして、リードをしていると気が緩む、2,3点取られると頭が真っ白になる、等といった精神的に脆い人間を用意しておいてもらいたい。1点2点で揺らがないようなどっしりとした心構えの連中による点差の開いたゲームなんて途中から消化試合になってしまう。高校野球の醍醐味を握りつぶしてしまうような、大人びて成熟した高校球児なんて高校球児らしくないだろうと僕は思う。負けているときには決してあきらめないが、勝てそうだと適度に油断する精神力を育んでいってほしい。

 スローボールに関しては、どんなにか高度な技術を要求される投球術であろうが、もう見た目がふわっとしてるから駄目だ。もっと力んで汗をかく投球をしてくれないと。相手の裏をかくなんて爽やかさがないよ。きっとそのうち打者の手元で曲がる球なんてのも高校球児らしくないという意見でも出てくるのでないかしら。相手を手玉に取ろうなんてしない全球ストレートの全力投球が理想だ、うん。

 

ところで、勝手なことをあーだのこーだのと発言してしまったが高校球児らしからぬプレーというのは俗に言う暗黙のルールというものに反するものであり、なにも高校野球に限ったことでなく存在するものであるという話を目にした。野球フリークに言わせると、野球人全般が守るべき礼節のようなものであるらしく、なるほどそれは脈々と守られてきたものならば十分に重んじなければならないかもしれないが、はたして今回ケチをつけている人というのはこの暗黙のルールというものを皆知っていたのだろうか。

この手の話を聞くと、あるルールやしきたりを自分の感じた不快感を正義と肯定するのに都合がいいから引っ張ってきているだけの手合というのがまざまざと想像できてしまうのだが。暗黙とはいえルールであるということを大切に思っていて、それで苦言を呈するひとも沢山いるだろうけれど、声を荒げている人というのは普段は意識しないか聞いたこともないそのルールを憂さ晴らしにちょうどいいから振り回しているだけという印象が強い。この手の連中は自転車の交通ルールに関する話なんかによく沸いて出てくる。

 

 立ち居振る舞いは球児だけに求められるものでもないらしい。マネージャーとしてチームに貢献するために進学クラスを断念しただとかいう話は概ね美談として捉えられ、僕も「ええ話やないかぁ、おじさん泣けてきたでぇ」となったのだけれど、一部の見識ある方々からは非難の声が上がった。

 曰く、将来を棒に振るった。曰く、隷属を強いるブラック企業のよう。曰く、周りの人間が止めるべき問題。

 彼らは献身的な人間を憐憫の目で見る。マネージャーさんがマネージャー業を自ら望みそこに喜びを感じているのだとしても、それはなにか熱に浮かされて見せられている幻想であって、彼女の自由意思というのは既にその幻想によって作られたもので自由などとはとても呼べるものではなくなっており、直ちに目を覚ますべきであるというのだ。

 彼らにしてみれば実際に試合に出るわけでもない人間が喜びを分かち合うなんて馬鹿げた話であって、この経験が彼女の人生を豊かなものにする可能性なんてほとんど信じられないのだろうか。であるならば、ベンチに入ることのできなかった3年生などもアルプススタンドでエールなんて送らずに受験勉強にでも取り組んでいて然るべきであって、それをさせない、しようとも考えさせない体育会というのはなんとブラックな組織でしょう、そもそもそんな組織に加入する前に大成する可能性のないものに目を向けさせないようきちんと周りの人間が管理する体制をとらなくては、とでも言うのだろうか。THE・管理社会。SF的だ。しかしこの、部活や学校なんかよりもよほど高い次元から人の意識と行動を掌握しようとする考えはどんなにか彼らの言う「ブラック企業的」かと思うのは気のせいだろうか。

 まぁ、こういう知識人以外にも、単に女の子にいろいろお世話されてうらやまCという嫉妬に狂った人もいるのだろう、体育会というのはむさい男の集団であることが多いようだから。

「なにがおにぎりだよ!ど・う・せ、おにぎりだけじゃなくてぇ?おいなりさんもぉ?おにぎってもらってるんじゃないんですかぁ?今日のウィニングショットはフォークのにぎりでお願いしますってかい?おうおう、出るっ出るっマネージャーさんのおかげで出ちゃうぅ甲子園出るぅとか言いながらゲームセットってかんじじゃねぇんかい?」

 なんて言っている人も多いんだろうな。僕はそんなこと一切思っていないけど、とりあえずごめんなさい。

 

 感動の舞台をより感動的に視聴者に届けようとするマスコミにも白羽の矢が立つ。

 甲子園の土をかき集める姿をカメラに収めるというのはとても血の通った行為とは思えず、なんとマスコミの醜悪なことかという意見がツイッターを横切って行った。あの舞台の敗者がみじめでかわいそうだとは思わないけれど、敗者の姿を絵に収めるという行為に蔑みを感じるものなのだろうか。当人たちが甲子園の土をかき集める行為に恥を感じているなら(もしそうならしないと思うが)控えるべきかもしれないが、カメラを向けるのは「テレビを見ている人はどうか彼らを労ってください」というような意図があるくらいには思えるだろうに、それは明確なものではないからマスコミ=ゴミという偏見が勝るようだ。マスコミには偏見を加味した上で見る人の気分をよくさせる振る舞いが求められている。

 それ以外にも敗者の振る舞い方、勝者の振る舞い方などなど、甲子園一座の方々に求められるものは多い。部活の取り上げ方として野球ばっかり特別扱いされてるなぁなんて思っていたけど、それはそれで当人たちには迷惑な話でもあったのだろうなぁ。

 

 さて勝手に想像上の人物像を批判したりと妄言を吐く散らすおじさんことコマミヤンは夢に生きる高校生を全力で応援しています。がんばれ高校球児。あと甲子園に熱狂している僕の知人U君、無職の身で彼らの一生懸命な様をよく真っ直ぐ見れるな、よく心に傷を負わないな。母校が出場してるといってわざわざ現地まで応援に行ったようだけど、野球部でもない無職の高校OBに応援されても何の力にもならんと思うぞ。

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