コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

テレビの住人

こんばんは。最近どうしたこうしたという話でなく、昔話なんかもします。

意味の分からない言葉が急に耳に入ってきた時、とりあえずその言葉を単なるリズムの様にして捉える。子供の頃、僕は「スポンサー」の意味も「提供」の意味も分からなかった。だから、テレビを見るたびに流れるアナウンス、「この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りします・お送りしました」が不思議な呪文のように聞こえていた。

この不思議な呪文がテレビ番組の最初と終わりにいつもあって、一体これはどういうことなのかしらんと疑問に思っていた。ここでデキのいいお子様ならば、両親にでもこの呪文はなんぞと尋ねたり、自力で辞書でも引っ張ってきたり、今の時代なら検索検索なんてことになるのだろうけども、僕にはこういう謎を自分で勝手に解釈して勝手に納得する悪癖があった。

「この番組は」これは分かる、テレビ番組のことだ。「お送りします・お送りしました」これも分かる、このテレビを放送します・してましたってことだ。分からないのは「ご覧のスポンサーの提供」これだ。

ここで問題にというか、僕の推理をあらぬ方向に曲げてしまう要因になるのが、この言葉を耳で聞くことしかないためにどこでどう区切っていいのかわからない点。当時この言葉を僕はこう区切った。「ゴランノスポンサー//テーキョー」。「ご覧の」と「スポンサー」が分けられなく、「ゴランノスポンサー」という名詞として捉えることにした。これが僕にとってのテレビの中に住む妖精、もしくは魔物、もしくはオジサンである「ゴランノスポンサー」さんの誕生である。この外人みたいな名前のゴランノスポンサーさん、頭の中では最終的にゴランノス=ポンサーさんとなる。だって一息にご覧のスポンサーって言う時に「ぽ」にアクセント付くじゃない、あれが悪い。

加えて、このアナウンスが流れるとき、画面には上段に「提  供」下段にはスポンサーである「何々製薬」だのの文字があって、これが僕には顔に見えていた。今でいうアスキーアート。提供という漢字はまだ読めない。「提  供」が両の眼、その下に1,2段あるのが唇だったり鼻だったり。そしてこの顔こそがゴランノス=ポンサーさんのものであると認識することになる。スポンサーの表示が切り替わるのは、ゴランノス=ポンサーさんの表情の変化だとも。

「テーキョー」はよく分らないけれど、要するにこれはゴランノス=ポンサーさんの何らかの力によってテレビ番組が放送されているんだと信じた。ある番組が終わった直後、また次の番組でもゴランノス=ポンサーさんの出番となるのを見て、「なんだかわからないけどゴランノス=ポンサーさんはすごいんだ。日本のテレビを支えてるすごい存在なんだ。」とそんな風に認識し、アナウンスがあると、「いつもお疲れ様」なんて心の中でつぶやいていたものだ。

いつこの頭の悪い推察が間違いであったと気付いたのかは覚えていはいないのだけれども、今でもテレビから提供のアナウンスを聞くと、時たま空想上のテレビの住人を懐かしく思い出す。