コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

くちくしてやる

 例年に比べるとこの時期にしては涼しく過ごしやすい日々でないだろうか。とはいえ暑くないでもなく、何をせずともベタリとする体に夏と言う季節の訪れを感じる。しかし僕にとって、何よりも夏が来たぞと感じさせるもの、それは物陰からひょっこりと姿を見せるゴキブリちゃんである。この子を見ると、あぁ今年もまた暑くなるであろう夏に思いを馳せつつ・・・おぞましく蠢く黒光りした存在に肝が冷やされる。ああ嫌だ嫌だ。夜に喉が渇いて冷蔵庫に向かうために明かりを点けるときなんか、高確率でこんにちわわわ。

 最近ではゴキブリと戦うことが漫画の題材になっている程にメジャーな嫌われ虫であるこのゴキブリに匹敵するレベルで、僕には天敵と呼ぶべき虫がいた。漫画の主人公達が異星人や巨人やゴキブリと相対したように、僕にもその虫との激闘の記録がある。

 

 ゴキブリレベルだなんて一体どんな異形の生物かと思われるかもしれないが、その虫というのはカメムシのことである。そして、テントウ虫を少し角ばらせたような形のマルカメムシという種類のカメムシこそが僕にとってゴキブリ並の、いやゴキブリ以上の天敵であった。

 世の中の人がどの程度このマルカメムシの被害にあっているのかは把握していないけれど、子供の頃は暖かい時期になるとコイツがそこかしこに姿を現し、少し刺激してしまえばカメムシの名に恥じぬ臭気を発していた。

 最初の頃、カメムシと言う固有名を知らない幼い僕はこの虫を単にクサイムシと呼称し、それがそのまま我が家でのカメムシを指すものとなった。外に干した洗濯物に引っ付いていることが多く、もし存在に気付かずに着衣してしまえば・・・そう、たいへんにたいへんだ。一度誰か(兄だったろうか)が寝ている間に口に入ったマルカメムシを噛んでしまうという、地獄の刑罰としても上等な部類に入りそうなおぞましい経験をしていたような、ともかく潰してしまえばこちらが白目を剥くほどのニオイを発するこの虫が現れた時の対処法は、虫だけに無視(ドヤ)をするのではなくガムテープに引っ付けてやりそのままゴミ箱へポイというのが我が家のやり方だった。ただ、そんな風にたまに現れる程度ならゴキブリ程の畏怖の念は抱かない。ではなにがあったのか。ある年このカメムシが「我が家周辺でのみ」異常発生する事態が起きたのだ。

 忘れもしない、あれは夏休みが終わり2学期が始まった丁度その日。僕はヘチマを抱えて(授業の一環として育てていた)家に帰ると、大量のカメムシに取り囲まれたのだ。最初は自分の周りを飛んでいる虫はハエか何かだと思ったのだが、服に飛びついたその姿を見て戦慄した。自分はあのクサイムシにたかられているのだと。

 こんなことは今までなかった。確かにこのクサイムシには毎年悩まされてはいたが、一度に三匹も現れれば「沢山」と表現するような遭遇率。だというのに自分を取り囲んでいるこの数は・・・正確には分からないけれど片手では数えきれないのは確かだった。僕は持っていたヘチマを家の扉の前に置き、叫び声をあげながら隣の祖父母の家へ向かった(両親は共働きで、家の鍵は祖父母宅に預けてあるのだ)。クサイムシにたかられながら祖父母の家に入り、服に着いた虫をはじく。多少虫を刺激して臭いのは仕方がない。

 室内に逃げ込み一息ついた僕は祖父母にこの異常事態を伝えたが、老人らしくのほほんとしている。窓越しに外の様子を眺めようとすると、手前に斑点が見える。少し気を使って見てやると、網戸のそこかしこにクサイムシが貼り付いているのだ。

 思い出すだけでもおぞましい。僕は鍵を手に全力で家まで走り、開錠し、そのままその日は家から出なかった。なんで祖父母宅で待機しなかったのかは覚えていないや。少しすると兄も息を荒げながら家に上がってきた。兄もまたこの異常事態に恐怖していた.。

 翌日以降は家の外に出ても浮遊するクサイムシに取り囲まれるというようなことにはならなかった。だが「一体いつの間に家の壁を塗り替えたのか」と両親に尋ねたくなる程度には、我が家の白い外壁には黒い斑点模様がデコレートされていた。我が家は完全に包囲されたのだった。

 僕が通っていた小学校は我が家の目と鼻の先に立地していたのだけれど、その距離にあって学校にクサイムシの姿は見られなかった。これは一体全体どういうことなのか、本当に我が一族のみが奴らの標的となってしまったようだ。

 ガムテープで張り付けて、なんて対処法をこの大群に取れるわけもない。かといってこれだけの量の虫を無視(ドヤ)することもできぬ。そのうちに僕と兄はシビレを切らし、強硬策に出る。虫と言うのは少し大きさを伴っていると叩きつぶすのには抵抗がある。加えてカメムシは潰れた瞬間にこそ最大の汚臭を発する。それを重々承知した上で僕らの出した結論は「叩きつぶす」、流行の表現で「駆逐してやる」だ。

 僕らは古新聞をたたみ、ハリセンを作成。そして左手で鼻をつまみながら、壁に貼り付くクサイムシに向かってバシバシとハリセンを叩きつける。つまんだ鼻の隙間からも臭気は入り込むが、すぐに「臭えの上等じゃコノヤロウ!」といったハイな状態に陥り、鼻をつまむのもやめて僕達兄弟は殺戮の限りを尽くした。息が上がるまでハリセンを振り回したところで頭が冷え、改めて嗅ぐ汚臭に音をあげ家の中へと退避。

 学校に通い、授業が終わればカメムシ退治。こんな日々を繰り返してもクサイムシの勢力に陰りはなかなか見えなかった。そのうちにもう一段階シビレを切らした兄がライターと殺虫剤の即席火炎放射機による汚物の消毒に奇声をあげながら踏み出した。どこの世紀末だと突っ込んだそこの君、実際その頃時はまさに世紀末だったんだぜ。そうそう、書き忘れていたがこのクサイムシに手持ちの殺虫剤はいくら吹きかけても効かなかった。火炎を壁に吹き付けるわけにもいかずにロクな成果も得られなかったが、一度一体のクサイムシをガムテープで捕獲し、見せしめとして火あぶりにしてやった。もちろん効果はない。

 稀にマルカメムシでない、普通のカメムシが現れた。形も大きさも違うけれども、彼らが同種であることは祖父の持つ昆虫図鑑で確認していた。僕と兄はこのプレーンなカメムシを周囲のマルカメムシを率いている中ボスと位置づけ、潰すのをためらうサイズだったので対処は広告などでくるんで捨てるといったものだった。

 中ボスを処理することには少しの達成感があったが当然中ボスなんて設定は幼い兄弟の妄想でしかなく、状況はなにも変わらない。そんな中、我が軍最大の戦力は躍起になった僕達子供ではなく、特にこの事態に危機感も抱いていなかった祖母だった。祖母は夕方になると庭に現れ、木々の新芽に隙間なく群がったクサイムシ(思い出しただけで怖気がしてきた)を見つけると、その芽を根元から切断して落ちた十数匹のクサイムシをまとめて足で踏みにじる。僕はまずそんなところがクサイムシの拠点だったとは知らなかったし、それが分かったからと言って虫だらけの新芽に指を近づけるのも躊躇うし、まとめて足で踏みつけるなんてとても出来ない。老兵はつよし。

 この「マルカメムシの乱」がおさまりを見せるのは辺りの空気に鋭利さを感じ始める10月の半ばから11月頃の時期だった。日に日に姿を現すクサイムシの数は減り、そのうちにいなくなった。これは単純に生命が活動的になる季節が終わりを迎えたというだけで、僕達の戦いの成果ではない。というのは今ならば当たり前に理解しているけれど、当時の僕達はこれを自分たちが勝ち得たものであると信じた。というか、もうこの戦いに辟易としていたのだけれども、もはや後ずさることは許されないとヤケになっていた僕達は「時間が解決した」という事実を認めたくなかったのだ。僕達は勝利したんだ、あの恐るべき侵略者から地球を守ったのだと、いつの間にやら妄想内で壮大なスケールと化したこの騒動に明確な終止符を我々の手で打たねば、まったくやってられるか。僕達は疲れていたのだ。

 だがひょっとすると僕達はあの時本当に勝利と言うものを握りしめたのかもしれない。というのも、その翌年は異常発生する以前よりもクサイムシの出現頻度が少なく感じ、実際にそこから年々彼らの姿は減少していった。そして今では夏が来ても、彼らの姿は滅多に見られない。「あそこには近づくな」とカメムシネットワークでの伝達でもあったのではないか。とにかく謎である。

 以上が「マルカメムシの乱」の顛末である。余談だが、当時の学校の担任は週末になると一週間のうちに起きた出来事を作文として週明けに提出するという宿題を出していた。僕はこの騒動がおさまる約一月半の間、時に新兵器による対処法を実験してみたり、時に友人の力を借りと、毎週どのようにカメムシに対応していたかを作文として提出していた。教師からは「お疲れ様」といったようなコメントが返って来ていたが、まぁ反応に困っただろうな。

 

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