コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

プリティケーションをやりまして

 ラブリケーション2(以下ラブリケ2)の成川姫さんに胸撃ち抜かれてすっかりぞっこん参ってるなんてことになって早1年。そのラブリケの流れを汲んだゲーム「プリティケーション」(以下プリティケ)が4月に発売された。今日は感想なんぞを。

 

このプリティケ、ラブリケからライターも原画家も一新されるということで、制作が発表されると同時にラブリケにのめり込んでいた方々の批判的な意見も随分と見かけた。やはり彼らとしては同じライター・原画家による「ラブリケーション3」をこそ望んでいたようなのだけれど、プリティケ発表以前にラブリケのライターが他社へ移っていたためすでにそれは絶望的だった。

僕としてはラブリケ3だろうがプリティケだろうが、成川姫さんがいないのならその時点で大差がないと捉えていた。ただ、なんとなくラブリケにハマった人間としてプリティケは買って然るべきなのではないかという思いに駆られて購入し、プレイ。変な義務感でゲームをやるってのはあまり褒められたものでもないけれど、実際キャラはかわいいだもんで、嫌々やったとかそんなことではない。

 

 それでどうなんだね、プリティケーションは面白かったのかねって?えぇ、それなりに面白くやらせていただきました。ただこの作品を語る上で、ラブリケを引き合いに出すか出さないかで語り方が違ってきてしまうのはもうどうしようもないことなんだと思う。とりあえず、まずは単純に単体のエロゲーとしての感想。

 いわゆる「イチャラブ」系のエロゲーへの造詣は深くないのだけれど、単純に可愛い女の子と仲良くするという内容としてあるていどの水準には達していると思う。選択肢を選ぶだけでなく、主人公のパラメータや所持しているアイテムによってイベントが変化するというのも、大きな変化があるわけじゃないけれども自由度があって自分を向こう側の世界に落とし込む要素として機能している。なによりこの手のゲームで男(主人公)の側から女の子にアプローチしていくというのは良い。ちゃんと「恋愛」してる感じ。

エロゲーで特にシナリオが無いのなら最初から可愛い女の子の痴態バンバンでいいだろって人には煩わしいのだろうけれど、僕はこういうエロゲーこそが本来あるべき美少女ゲームの形のような気がしている。だって「美少女」ゲームですよ?単純に美少女とお近づきになりたいって、それだけでいいでしょ。そこでドラマチックな展開とか、世界の命運かかったりとか、その美少女に悲劇が降りかかったり(鬼畜系の嗜好に関しては、ちとここでは省く)とか、嫌でしょうよ。そういう内容ならなにも美少女モノじゃなくても、って思ってしまう。

で、その「美少女とのお近づき」を、ラブリケで培われた「可愛い女の子とこんな感じでコミュニケーションしちゃったらプレイヤーさんもうメロメロになっちゃうよ」ノウハウを活かして描かれていく。そんなわけで本当に大したシナリオもないけれど、可愛い女の子と親密になって、親密になってから先も味わえる内容ですんで、パッと見で「おおこの子かわいいぞ!」と感じた人にはおすすめ出来るゲームだと思う。エロ目当てでもさっき言ったような煩わしさを感じるかもしれないが、シーン数も結構あるので満足できるのでは。

 

で、ここからラブリケの流れを汲んでのプリティケーションという作品を語る。まずラブリケとどっちが、というような優劣の話はできるだけしない。結局これってゲームよりはそれぞれヒロインにハマるかどうかが全てだと思う。だから総合的にゲームとしてどうのこうのだから云々ってのは無粋極まりないし、僕としてはプリティケ楽しめたしみんなかわいいけれど、申し訳ないが成川姫さんに感じたあの脳みそに半田ごてを突き立てられるような熱くとろける感覚を得ることはなかったからと言って、それでプリティケが劣っているなんてことを言うつもりもない。どこかでプリティケによって1年前の僕の様になってしまっている人間がいるのだろうなぁと思いを馳せたりしている。

さてそれを踏まえた上で、ラブリケとプリティケの優劣でなく「違い」について。まず分かりやすいところで、プリティケではエロに関して淫語が解禁されていた。「性器の呼称を指定」なんていうアホっぽいシステムなんぞも搭載されて、まぁ女の子がそういう言葉を発してエロる。このあたりはコンセプト的にも(ゲームではない現実的な彼女感というコンセプト)かなりデリケートな部分だったろう。これがウケてるのかどうかはあまり分からないけれど、なるほどプリティケではこういうエロの路線なのねと受け止めた。これもまた好みの問題ではあるような気もするけど、コンセプト的には微妙なところかとも思う。どうでしょう。

そして僕が一番大きく感じた差異、それはラブリケが意欲作であったのに対してプリティケはやや守りに入った作りという印象。これは批判しているというのでない。ラブリケがまずラブリーコールやアペンドライフといった実験的なシステムで始動し、2ではウォーキングトークや添い寝イベント等イチャイチャ度を重視したシステムの追加といった意欲に溢れる作品作りだったように思う。プリティケでは何か大きな目玉となるような新システムというのはなかった。だから悪く言えば焼き回しだとかの表現になってしまうかもしれないけれど、今回プリティケは新規原画・ライターで始動するにあたってラブリケで培ったものを損なわないように、そして受け入れてもらうために慎重に移植したという風にとらえた。原画もライターも変わることに関して批判の声がある程度上がることは想像できての守りの姿勢だろうか。そもそもこのプリティケってものを制作に踏み入ることが一番の冒険で攻めの姿勢か。

個人的にはもうちょっと冒険して「ラブリケをパワーアップさせましたよ」な内容を目指してもよかったとも思う。ただ、これはプリティケの2が制作する路線にあるようなのでそちらに期待しよう。ラブリケ派に「このシステムでラブリケしたいぞちっくしょうめ」と言わせたら勝ち(?)なんだろうと思うので、頑張ってほしい。

それと、優劣の話はできるだけしないと言ったが、これは少しそこに触れてしまいそう。なんというか、丁寧に恋愛を描いているのはラブリケの方だと感じる。いや、お恥ずかしいことにラブリケに関して1は買ったけど未プレイで2では「姫以外の子の元にいくのは無理ぃぃ」ってなっていて全体的にどうと言い切れないけれど、なんというかラブリケは恋人同士になって、さらにそこから恋人としての関係を深めていく(エロは速攻だがな!)という感じで、対してプリティケは恋人同士になったらそこで関係はゴールしてしまっているような、そんな印象。そのあたりのアッサリさというのも個人の好みの問題かもしれないけれど、僕としてはもう少しじっくりと描いて欲しかったかなあ。

 

結論として、ピンとくる女の子がいたならプリティケはおすすめ出来る。そして成川姫さんはラブリケ、プリティケとかの問題でなくグローバル的かつユニバーサル的に銀河的な視点でもってかわいい。そして僕的視点でもって大好きです。

 

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週末につき飲酒中

 ゴクゴクぷはあ。こんばんは。こんな入り方ですけども、飲んでいるのはビールじゃなくて缶チューハイ。僕、舌がお子様なもんで、ビールが一滴も飲めんのです。一滴もって、まあ一滴くらいならとは思いますけども、一口ゴクリと喉を鳴らす程度飲んだらば、たちまちのうちにゲロりんちょとなるんでスっての。

 そのあたりのお酒の話と言うのはまた今度に酒を飲みながら書くとして、今回は僕の数少ない飲み相手のお話。つまみはオープンしたてのローソンで買ったからあげクンでお送りいたします。

 

 4月の末に僕の数少ない飲み仲間であるK君が新しい仕事に就いたため、少しばかり遠いところに引っ越した。同じ関東圏内ではあるし、会おうと思えばいつでも会える。けどそこまで会いたいわけじゃないやな、といった積極的に遊ぶ気にはならないけれど暇なときに飲みに誘うには丁度いい存在、それがK君である。(うーん、からあげクンねぎ塩味、決して悪くはないなもぐもぐ)

 僕は人数を集めて飲むというのが苦手で(そもそも集めるだけの人脈もない)この男と飲むときは大抵2人で飲んでいる。もしくは、そこに元バイト先である某大手居酒屋チェーン店で働く店長を加えての3人、これ以外の相手がいない。誘える相手がいないでもないけれど、別段酒がそんなに好きでもないって人間を飲みに誘うのも気が引ける。そもそも非常に友人が少ない。少ないながらも友人がいることにはとても感謝しつつ、とにかくそこから飲み相手となるとさらに人数が絞られてくるわけだ。(味にバリエーションがあるってのはからあげクンの強みかなあもぐもぐ)

 さてそんなK君、僕の中の大事にしたい友達ランキングでは最下層に位置づけられるK君、彼はなんというかビックリするくらいに愚か者なのだ。

 まずは社会的な部分から。彼は高校中退、つまり最終学歴は中卒となる。なんだ、学歴なんて関係ないだろ馬鹿にするなと言われるかもしれないけれど、事このK君の愚かさを語るには学歴の低さのせいにするくらいが丁度良いような気がする。彼の愚かさを伝えるとなると、そうこの男はゴシップ誌に蔓延るようなガセネタを丸きり信じたうえでそれを自信満々に語って聞かせてくるような、そんな男だと言えば伝わるだろうか。彼ときたら、この半年の軌跡を振り返るに「居酒屋バイトをクビ」「携帯販売営業を実質的にクビ」「家電量販店チラシ配りのち携帯販売のちクビ」「日雇い引っ越し業」と職を転々として、今回リサイクル関係の仕事(廃品回収のようなもの)の仕事にありつけたらしい。「引っ越す前に飲みに行こうぜ」と誘いもあったのだけれども、断食期間中だったもので断った。(しばらく文章書くことから離れての日本酒へ移行)

 経歴だけで彼の愚かさも伝わろうというもので、学校で教わることなんて社会じゃ何の役にも立たないとか未だに真顔で主張した上で、最近なんか起業したらうまく行くんじゃないかとか半分以上本気で語っていたりする、まぁこの先もどうせうまく行かないんじゃないかって、そんな人物。

 随分とこき下ろして表現したけれども、僕はどうもこういうどうしようもない人物が嫌いになれないらしい、むしろ好ましいとまである。あいや、自分以上(以下)の底辺の人間を身近に置くことで云々という意見はある程度正しいのか知らん、ともかく僕は世に言うところの愚か者というのが嫌いになれない。そんな人間と何の実にもならない会話をダラダラと酒を飲みつつするのは間違いなく無駄で無意味なんだろうけども、酒飲んでする話なんそんなもんだろワハハと、こうなる。

 まぁなにかの都合が付けば彼ともまたどこぞの居酒屋で語り合うことにもなるんだろうけど、そんなどーしょーもない人間と気軽に飲みにも行けないと家でチビチビと飲んでこんなブログを更新なんてことも増えるんじゃないかなと。そういうわけです。埼玉~東京辺りで暇な人、飲みにでも行きませんかねって。(お猪口をチビリ)

愛玩動物との思い出

以前、犬を飼っていた。厳密に言えば犬を飼っていたのは隣に住む祖父母であり、基本的な世話はほとんどすべて祖父母に任せきりだったのだけれども共有のペットという感覚を持っていた。過去形で語った通り、今はもうその愛玩動物は僕の元を去って行ってしまった。今回はその犬ころの話をしみったれた感じで語ってみる。

 

我らが愛犬「ミイ」は雑種の雌犬であった。僕がまだ幼稚園に通っていたころに、祖父母が知人から譲り受けた犬である。祖父母は「ミイ」をもらう前にも犬を飼っていた。「チビ」と言う名の、当時幼ない僕から見ればその愛称とは正反対のとても大きい、そして獰猛な老犬だった。僕が3,4歳の頃に死んでしまったその老犬に関しては残念ながらそんなうっすらとした印象しか残っていない。激しくワンワンと吠えるおっかない存在でとても苦手ではあったのだけれど、そんな吠え声も聞けなるのをさみしく思った記憶はある。

 それはさておき、とにかく今回は「ミイ」の話をする。やや動物愛護系の人から非難を受けるかもしれない内容であることは予め宣言しておく。

 

 チビがいなくなってそれほど間を開けずにミイがやってきた。人間の年齢に換算しなければ僕よりも年齢の若い犬だった。やってきた当初の事はあまり覚えていないけれど、チビに比べればおとなしく、おっかなくはないということで僕は好ましく受け入れたような気もする。祖父母が世話をするということで、僕は面倒な世話もせずに単純に都合の良い、かわいいだけの愛玩動物としてミイに向き合っていた。

 そのうちに月日は経ち、僕が小学校の中学年になったころに「子供のするお手伝い」の一環として祖父母からミイを散歩に連れてってくれないかいと頼まれた。それまでにも稀にミイを散歩に連れて行ったことはあったのだけれど、その日から明確にミイを散歩に連れることが僕の仕事になった。

 僕は当時ガリガリの貧相な体だったこともあり、決して獰猛ではない雌犬とはいえ自由に駆け回られたら手綱を引くのも大変だった。祖父母からは散歩のコツとして、あまり犬の自由にさせずにすぐに反対方向にクイッと手綱を引いて、それを何度も繰り返して主従関係をはっきりさせるといいとアドバイスをもらっていた。だけども、いつまでたってもこの犬っころは僕と足並みを揃えようともせずに突っ走ってばかりだった。そして、ときに僕の気分が悪い時だったりすると、僕を振り回すミイに対しふつふつとフラストレーションが溜まってしまうことがあった。

「どうしてジッチャンに対しては従順なのに、僕の時は自分の行きたいところへ強引に引っ張って行こうとするんだ!」

「こいつはひょっとして僕よりも立場が上のつもりなんじゃないのかこの犬畜生!」

 そんな子供らしいヒステリックな感情に駆られ、ある日僕はついミイの横っ腹を蹴り飛ばしてしまった。一度体を動かしてしまうと感情が堰を切り激流を生む。僕は手綱を引き寄せ、立ち上がった彼女に同じように蹴りを浴びせる。蹴れば蹴る程に僕の嗜虐的な欲求が芽吹いていく。正直に言う、僕はその瞬間においては彼女を痛めつけることに確実に興奮を覚えていた。何度か蹴り飛ばした後、呼吸を整えて頭を冷やす。子供の暴力なんかたかが知れているのか、彼女は平然と立ち上がりこちらを見つめてくる。その頃になると僕の胸の内には罪悪感が白々しくも顔を覗かせており、彼女に対し「ごめんよう」とつぶやいてしまう。こんなことを、たまにとはいえ繰り返してしまった。そしてこの事は誰にも話さなかった。これではまるでテレビや小説で見るような、子供を虐待する親の姿そのままじゃあないかと今なら思う。こんな時期から僕はクズ人間としての才能を開花させていたんだな。

 

 さらに月日は経つ。小学校の高学年になるころにはミイの散歩というお手伝いは僕の任ではなくなった。遊びだったりを優先している内にゆっくりと散歩に行く回数が減っていき、元の通りに祖父母が散歩に連れていくようになった。ただ、散歩に連れなくなったとはいえ犬小屋は家の目の前にあったので毎日のようにミイとは顔を合わせていたし、書いたようなマイナスな思い出こそあるけれど基本的には僕はミイの事を疎ましく思ってなどいなく、普通の人が愛玩動物に対してそうなるように、情は移っていた。

 そのまま僕は中学に上がり、高校へと進学していく。ある日、学校から帰ってきた時に祖父が犬小屋の前でミイを指差してこんなことを言う。

「ようよう見てごらんよ。お前さんが帰ってきてミイも尾っぽ振って喜んでるよ。昔散歩に連れてってもらったこと覚えてんだな。こんなに懐いてなあ。」

 まったく勘弁してほしかった。犬が以前の事を覚えていられる動物だものなら、僕になんぞ懐くもんか。尻尾を振っているのは犬が喜んでいる証だなんて、ちっとも信じられないよって。あのクリっとした目だって憎しみの眼差しなのかもしれん、犬の心主知らず。それにもし仮に、本当に喜んでいるのだとしたら、僕は彼女を蹴り飛ばすことで主従関係を刷り込むことに成功していたとでも言うのだろうか。そちらの方が恐ろしい。

 その頃にはもうミイも雑種犬の平均寿命程度の年齢になっていた。以前の様な、元気に走り回る姿も鳴りを潜めてしまっていた。出会ったころなどお互い幼いもの同士だったというのに、僕が大人になるより早くに彼女は老犬となっていた。

もっとも、彼女の老いをはっきりと意識するのはもう少し後の高校卒業前後くらいの時期だっただろうか。夜更かしをしていると、夜中に窓の外から物音が聞こえてくる。そしてミイが、ゴロゴロと喉の奥の奥が震えるようなしわがれた声で鳴くのが聞こえてくる。その声は近所迷惑になってくれるような生命力に満ちたものなどではもうなく、そう近くない内に訪れるであろう別離を意識させる、とてもよわよわしいものだった。それを聞くと僕はとても悲しくなると同時に、過去の行いの懺悔の気持ちがあふれていった。もしかするとこの夜泣きは、目の前の建物の中にいるであろう僕に対する、死を前にした老犬の恨み節ではないだろうかとも思えてしまった。

 

だがここから、こう言ってはなんだがミイは意外に長生きした。時間が経つにつれどんどん活動的でなくなり、ああもうそろそろ・・・なんて思いながらも結局僕が高校を卒業してから4年近く生きた。

僕が旅行でしばらくふらふらしている間に、ミイはこの世を去った。ある朝に祖父が事切れたミイに気付いたらしい。旅行から帰った僕は祖父母から彼女の死を聞かされても、覚悟をしていたような大きな悲しみはなぜだか沸いてこなかった。当然悲しいには悲しいのだけれども、あぁとうとうこの時がきたんだな、とその事実をすんなり受け入れてしまった。あまりミイの話を続けたくなかったので、祖父母の話にただ「そうなんだ」と適当に相槌を打ち、主のいない犬小屋を横目にみて家に入る。せめて亡骸くらいは拝みたかったな、なんて考えながら。死後処理をどうしたとかそんな話にまで発展させなかったので、薄情なことに彼女がどこに埋められたのかも知らない。後後になってミイの死体をどうしたんだと聞くのもなんだか気が引けてしまったので、結局そのままだ。最後の最後までひどい扱いをしてしまった。今度詳細を聞いてみようか、文字にして整理してみるとそんな気分になってきた。

さて随分調子に乗っておセンチな内容を書いてしまった。お付き合いいただきまことにありがとうございました。

 

蛇足。僕が他人を引っ張ったりする人間になろうと思えないのはこの辺の出来事が絡んでたりするんだろうか。

運命の再会

何年か前の、まだ僕が大学生だったころに起きた、ある人物とのそれはもう電撃的な再会のストーリー。なにが電撃的かって、まずある日の夕方に家の近くに雷が落ちた。その時僕はリビングでテレビを眺めて一人まんじり過ごしていた。急に大きな発砲音すると同時に照明が火花を一瞬散らしてテレビと同時に切れる。隣に住む祖母がこちらの家にやってきて「庭に落ちた!今庭に落ちたよ!」と大はしゃぎ。僕の実家は隣に祖父母の住む家と従兄弟の家族の家があるのだけれど、この雷の被害は見事にこの三軒の血縁者宅のみで、どうやら本当に間近に雷が落ちたようだった。

いくつかの電化製品はケーブルなどが焼き切れており、テレビも使用が不可能となった。このテレビはそれなりに年季の入ったものであり、地デジの事も考えたら修理に出すよりも新品を買った方がいいだろうということで、程なくして我が家に大型の液晶テレビがやってくる。ちなみにこの時、この買い替えの流れは地デジ推進親善大使である草なぎ剛による陰謀なのではないかという説が囁かれたが、それはまた別のお話。

新しいテレビでは最初の二週間に有料放送をお試しで見れたので、ある日大学をサボっていた僕はアルバイトの時間までやることのなかったのでチャンネルを転がしていた。すると突如、懐かしい姿・・・勇姿が僕の目に飛び込んできた。特捜ロボ ジャンパーソン。しかもビックリ第一話。幼少期のヒーローとの再会であった。

さて、これだけでは「なんだたまたま再放送にぶつかっただけじゃないか」と思うかも知れない。しかし、ジャンパーソンを知っている方には主題歌を思い出して欲しい。そう、歌い出しは「君がくる、稲妻の中を~」だ。まさしく稲妻をきっかけに僕の前に再びこのヒーローは姿を現したのだ。

さらに驚くことが重なる。このジャンパーソン再放送は一度に二話放送しており、そのすぐ翌日の早朝から第三・四話の放送があった。丁度夜勤のアルバイトから戻る時間に放送だったのでその放送も見ていたのだが、エンドロールにてなんと第四話のロケ地がその頃まさに自分が通っていた大学のキャンパスだったことが発覚。これはもう運命的な力が作用しているに違いない。ひとりぼっちの大学生活で唯一、ここに通っていてよかったと思えた瞬間だった。

心が奮い立つ。僕も随分大きくなったというのに、このヒーローは未だに僕に勇気を与えてくれる。こんなにうれしいこともない。けどま、結局崩れて留年したんだけどね。

デデデッデッッデッッデー、ジャンパーソンファイッ!フォージャスティス。ウーウーウー

テレビの住人

こんばんは。最近どうしたこうしたという話でなく、昔話なんかもします。

意味の分からない言葉が急に耳に入ってきた時、とりあえずその言葉を単なるリズムの様にして捉える。子供の頃、僕は「スポンサー」の意味も「提供」の意味も分からなかった。だから、テレビを見るたびに流れるアナウンス、「この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りします・お送りしました」が不思議な呪文のように聞こえていた。

この不思議な呪文がテレビ番組の最初と終わりにいつもあって、一体これはどういうことなのかしらんと疑問に思っていた。ここでデキのいいお子様ならば、両親にでもこの呪文はなんぞと尋ねたり、自力で辞書でも引っ張ってきたり、今の時代なら検索検索なんてことになるのだろうけども、僕にはこういう謎を自分で勝手に解釈して勝手に納得する悪癖があった。

「この番組は」これは分かる、テレビ番組のことだ。「お送りします・お送りしました」これも分かる、このテレビを放送します・してましたってことだ。分からないのは「ご覧のスポンサーの提供」これだ。

ここで問題にというか、僕の推理をあらぬ方向に曲げてしまう要因になるのが、この言葉を耳で聞くことしかないためにどこでどう区切っていいのかわからない点。当時この言葉を僕はこう区切った。「ゴランノスポンサー//テーキョー」。「ご覧の」と「スポンサー」が分けられなく、「ゴランノスポンサー」という名詞として捉えることにした。これが僕にとってのテレビの中に住む妖精、もしくは魔物、もしくはオジサンである「ゴランノスポンサー」さんの誕生である。この外人みたいな名前のゴランノスポンサーさん、頭の中では最終的にゴランノス=ポンサーさんとなる。だって一息にご覧のスポンサーって言う時に「ぽ」にアクセント付くじゃない、あれが悪い。

加えて、このアナウンスが流れるとき、画面には上段に「提  供」下段にはスポンサーである「何々製薬」だのの文字があって、これが僕には顔に見えていた。今でいうアスキーアート。提供という漢字はまだ読めない。「提  供」が両の眼、その下に1,2段あるのが唇だったり鼻だったり。そしてこの顔こそがゴランノス=ポンサーさんのものであると認識することになる。スポンサーの表示が切り替わるのは、ゴランノス=ポンサーさんの表情の変化だとも。

「テーキョー」はよく分らないけれど、要するにこれはゴランノス=ポンサーさんの何らかの力によってテレビ番組が放送されているんだと信じた。ある番組が終わった直後、また次の番組でもゴランノス=ポンサーさんの出番となるのを見て、「なんだかわからないけどゴランノス=ポンサーさんはすごいんだ。日本のテレビを支えてるすごい存在なんだ。」とそんな風に認識し、アナウンスがあると、「いつもお疲れ様」なんて心の中でつぶやいていたものだ。

いつこの頭の悪い推察が間違いであったと気付いたのかは覚えていはいないのだけれども、今でもテレビから提供のアナウンスを聞くと、時たま空想上のテレビの住人を懐かしく思い出す。

びゅーちーコロシアム

 体の中から綺麗になる。そんなアジアンビューティーを夢見て、今週断食を始めま、はい嘘です。いや、断食じみたことを始めたのは本当。体の、主に胃腸の具合がよろしくないということで、体の毒出しをしようと思い立ち今に至る。ここから先、大便の話も多いのでとてもばっちい内容になる。

 今月の頭に胃腸炎になり三日ほど寝たきり。二週間ほどは食事もお粥や柔らかく煮たうどんなどでやり過ごし、もう大丈夫かなと思っていたのだけれども肉類を食べるのは時期尚早だった模様。焼肉の食べ放題なんかにも誘われてホイホイ行ってしまったのも失敗。長年の不摂生もあり、先週の後半から下痢なのに便秘気味という妙な事態を招き、食べた分の排泄がない・残便感が常にある・腹が張ってゲップがでる、そんな生活を数日送った。

 自分の症状をネットで検索をかけその結果を眺めてみると、最悪大腸がんの前兆まであることを知りキモを冷やした。腸に腫瘍ができて便が引っかかるだとか、出血している可能性があるとか、腸閉塞という病気があるとか、とてもとてもおっかない記事のオンパレード。

 さっさと病院に駆け込めばいいんだろうけれども、下手に入院なんて事態になったら職場に捨てられるかもしれないし、4月の29日にギャルゲーのグッズを買いにいけなくなる。それはまずい。

 この手の症状に対する治療はと記事に目を通すと、結局胃腸を休める、つまり中身を空っぽにすることが基本なんだそうな。危険な病気の場合はそこから投薬や手術となるそうなので、じゃあとりあえず断食しておこうと短絡的に考えた。

 断食と言っても、僕はそこまで自分を律することのできない人間だし、要は固形物を胃に入れないだけで十分のようだったので、腸に効くとされる「リスクと戦う乳酸菌、飲むヨーグルト LG-21」を朝晩に飲む形で開始。食事しない分だけ普段よりも意識をして水分を取らなければならないらしく、水は常に隣に置く。

 そうして始まった断食ライフ。三日目あたりから、まだ詰まり気味とはいえようやく腸の中に残っていた滞留便が出始めた様子。どす黒い、しかし下痢のままの便。これもまた検索してみると、「長い間腸に残っていた便は黒くなります」というのと「黒いタールのような便は胃や腸が出血している可能性があります」という説。前者を信じたい、いや信じようとそのまま続行。固形物を口にしなくても一日に二度ほどは排泄をする。出たモノを眺めながら「病気じゃない病気じゃない」と自己暗示をかける。

 四日目辺りから胃がやや痛み出す。まさか悪化?とも思ったのだけれど、体が毒素を排出する際に起きる「好転反応」というものがあるらしく、それに違いないと決めつける。実際、好転反応により胃痛や発熱が起こるのが普通らしく、むしろこれは断食効果を実感して喜ぶべき事態なのだそう。

 同時にこの辺りから体がエネルギー不足を訴え始める。手足に力が入らなくなり、自転車を漕ぐ・階段を上るという行為に強い疲労感が伴う。仕事は休むわけにもいかないし、これくらいなら口にしてもいいのではないか(意志が弱い)と思い、高カカオ率のチョコレートを数欠片口に含む。また、夜に粉末青汁を粉薬よろしく飲みくだす。

 そしてこのブログを更新しているのが六日目。胃腸にはまだ違和感があるが、とても身体の調子がいい。これがデトックスってやつか。寝起きも以前より快適で、肩や首のコリが大分やわらいだ。体重計に乗ってみると、断食直前に測っていたわけではないのだが、把握していた体重よりも五キロも少なくて笑えた。ただこれは脂肪よりも筋肉が落ちているのだとか。断食後に食事を摂り始めると、反動で体が脂肪を蓄えようとするらしく、少しトレーニングしないと脂肪が付くだけの体重増加で以前よりも代謝も落ちてしまうので気を付けましょうとのこと。運動しなきゃ。

 ある程度続けると食欲が鎌首をもたげることも減り、まだ続けても大丈夫だろうとなる。けれども、イベント事に乗り込んでギャルゲーのグッズを買う使命があるのでそのころにはカロリーが必要。なのでそろそろお粥などの回復食に移行しようか。この回復食こそが断食のキモとなる部分らしく、数日かけてゆっくりと丁寧に食事を戻していかないとせっかくの禁欲が台無しになるらしい。

今更だが、断食の期間と言うのは個人で長期間やるのは危険で、三日程度に抑えるものなんだとか。長期の断食となると、それなりの施設と環境で行ったりするものらしい。長期と言うのは大体十日とか、それくらい。そう考えると自分はまだ半分くらいだし、胃もまだ好転反応を示しているみたいだから回復食はもう少し先にするか悩む。イベント事の時はゼリー飲料と根性で乗り切るか。でも早くお肉が食べたいラーメンが食べたいとも思う。さて、どうしよう。

強い生き方とかの話

 こんばんみ。腸の調子が超悪いので断食もどきを実行しております、コマミヤンです。余計な前口上をつけると本筋につなげにくいですな。

 

 僕の職場でのことについて少し話す。末端のアルバイトのくせに職場なんてカッコイイ言葉使ってしまったけれども、さて仕事内容はといえば募集要項にあったように書くと「WEB制作アシスタント」である。とはいえweb制作を中心とした会社でアルバイトをしているわけではなく、会社の中のweb系のものを担当する部署でやんわりとお手伝いをさせていただいている。自社で運営しているwebのものを更新したり作成したりすることが中心で、他所から仕事の発注がくるというのは少ない。僕はweb知識などてんで持ち合わせていなかったのだけれども奇跡的にこの会社に拾ってもらい、日々サイトの更新や、HTMLだのCSSだのJavascriptだのPHPだのをグーグル先生の力を借りて打ち込んだりしている。分からないことが多いとはいえ、個人的には気楽な職場で、それなりに知識を得ようと勉強もしている。

 

 さて、そんな仕事場の若い女の子が4月いっぱいで仕事を辞めるという。この子は4月からの新入社員ではないのだが、数か月前にアルバイトから正社員にならないかという誘いに乗って社員になったばかりの子。なぜ辞めるのかと聞けば

「嫌なことが5回あったら辞めようと思ってたんです。それで、5回きちゃったんで」

 と笑顔で語る。

 普段は気楽なこの仕事場も2月3月は他所から仕事の発注がいくつかあり、納期である3月の後半は忙しく、残業も続いた。僕はアルバイトの時間給なので残業代というのは発生するのだが、正社員の場合残業代はでない。その分正社員は勤務時間に関してある程度個人の裁量に任されている部分があり、仕事さえ終わるのであれば早く帰ってもいいことになっているのだが、新入りの身分ではやりたい放題というわけにもいかず、忙しくなくても時間まで会社にいる。このことがどうも彼女には耐えられなかったらしい。いや、笑いながら「やめまーす」なんて言っているし、ちっとも追いつめられたわけでなく面倒くさくなっただけのように思う。そして辞めることが決まると色々と不満を語る。

「こっちは残業までしてるのに、ドコドコが出来てないと責められるとか、わけわかんないですよ。作業も途中でナニナニを追加してくれとかで急に仕事増えるし。それで残業代も出ないし。結局これじゃあバイトで残業代もらってた方が稼げたとおもうんですよ。あと休みたいときに休めなくて友達と予定も合わせられないしで、もうやってられないです」

 こんなことをケタケタと楽しそうに言う。残業代に関する不満が中心のようだったが、それが出ないというのは正社員の話が来た時点で説明受けていたのにな。

給料に関して聞いてみると、結局3月で残業代ががっぽり出た自分と同じくらいだった。繁忙期のひと月ふた月の仕事量は割に合わないかもしれないけども、普段ののんびりした月には当然アルバイトよりも給料はいいし、ボーナスだって出るだろうに。そのことを指摘してみても、「そういう問題じゃないんですよ」と返される。

そいで、次の仕事はどうするんだいねという話になる。

「やっぱりweb系の仕事はやりたいんですよね。でもあーだこーだ言われたり、残業したりしたくないので派遣会社に登録して、それでやろうかと。派遣なら残業代も出るはずだし、そんなに責任なさそうじゃないですか。好きなときにも休めそうだし。それである程度経験したらフリーでやっていこうかなって。知り合いがそんな人知ってるらしいんですよ。自由に休んで好きなタイミングで仕事請け負って、それで月60万くらい稼いでるって。だから私もその方がいいなって。」

 流石に考えが甘すぎやしないだろうかと感じるので色々と突っ込んでみたのだが、自分の理論に絶対の自信を持っているようで「世の中って案外なんとかなると思うんですよね、私」と、まぁこんな感じの子。

 

 どうしたらそんなに自分の能力や価値だとかを高く見積もれるのか。今後自分が請け負うことになっていた仕事を投げつける相手に対して笑顔で「やめまーす」なんて言えるのか。こういう手合には何をやっても敵わない。自分にとって最も都合のいい理屈ばかりで構築されたはりぼての城塞。あっさりと攻略できそうでいて、踏み込んだとたんに亜空間に飛ばされる感じ。城主も外には出られないんだろうけれども、これは完全無敵の存在に見えて、僕はこういう人間をうらやましく思う。こんなブログをやっていて言うのもおかしな話ではあるけれど、僕には自尊心が足りない。これは実生活において。

 僕なんぞは時給1000円で働いているのだが、自分にそれだけの価値があるようには思えない。月に約13~15万ほど稼がせてもらっているけれど、自分がそれだけの成果を上げているわけがない。1000円と言えば、例えばネット喫茶で漫画読み放題のドリンク飲み放題で個室に3時間いられるだけのお金だ。この金額がイコール僕を1時間レンタルする額と考えてみると、僕は詐欺者だと言われても仕方なし。4月に入って仕事はかなり暇だからますます給料泥棒だし。

 とにかく僕は今破格の条件で雇われている。なので、女の子が辞めるとなった時に部署の部長が僕や他のアルバイトを呼び出し「何か不満はあるかな。あったら我慢しないで言ってくれていいよ」と声をかけてくれたときも、「むしろバイトの僕に残業代が発生してしまっていることに会社が不満に思っているんじゃないでしょうか」と聞いた。部長が言うには別に気にしなくていいのだそう。

 

 仕事関係の話は求職活動とかのことも合わせて後日色々書くかもしれない。とりあえず今日は、あるのかないのか分からない自分の権利や尊厳だとかをあると信じてブンブンと振り回して生きられたら幸せなんだろうなというお話。