コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

愛玩動物との思い出

以前、犬を飼っていた。厳密に言えば犬を飼っていたのは隣に住む祖父母であり、基本的な世話はほとんどすべて祖父母に任せきりだったのだけれども共有のペットという感覚を持っていた。過去形で語った通り、今はもうその愛玩動物は僕の元を去って行ってしまった。今回はその犬ころの話をしみったれた感じで語ってみる。

 

我らが愛犬「ミイ」は雑種の雌犬であった。僕がまだ幼稚園に通っていたころに、祖父母が知人から譲り受けた犬である。祖父母は「ミイ」をもらう前にも犬を飼っていた。「チビ」と言う名の、当時幼ない僕から見ればその愛称とは正反対のとても大きい、そして獰猛な老犬だった。僕が3,4歳の頃に死んでしまったその老犬に関しては残念ながらそんなうっすらとした印象しか残っていない。激しくワンワンと吠えるおっかない存在でとても苦手ではあったのだけれど、そんな吠え声も聞けなるのをさみしく思った記憶はある。

 それはさておき、とにかく今回は「ミイ」の話をする。やや動物愛護系の人から非難を受けるかもしれない内容であることは予め宣言しておく。

 

 チビがいなくなってそれほど間を開けずにミイがやってきた。人間の年齢に換算しなければ僕よりも年齢の若い犬だった。やってきた当初の事はあまり覚えていないけれど、チビに比べればおとなしく、おっかなくはないということで僕は好ましく受け入れたような気もする。祖父母が世話をするということで、僕は面倒な世話もせずに単純に都合の良い、かわいいだけの愛玩動物としてミイに向き合っていた。

 そのうちに月日は経ち、僕が小学校の中学年になったころに「子供のするお手伝い」の一環として祖父母からミイを散歩に連れてってくれないかいと頼まれた。それまでにも稀にミイを散歩に連れて行ったことはあったのだけれど、その日から明確にミイを散歩に連れることが僕の仕事になった。

 僕は当時ガリガリの貧相な体だったこともあり、決して獰猛ではない雌犬とはいえ自由に駆け回られたら手綱を引くのも大変だった。祖父母からは散歩のコツとして、あまり犬の自由にさせずにすぐに反対方向にクイッと手綱を引いて、それを何度も繰り返して主従関係をはっきりさせるといいとアドバイスをもらっていた。だけども、いつまでたってもこの犬っころは僕と足並みを揃えようともせずに突っ走ってばかりだった。そして、ときに僕の気分が悪い時だったりすると、僕を振り回すミイに対しふつふつとフラストレーションが溜まってしまうことがあった。

「どうしてジッチャンに対しては従順なのに、僕の時は自分の行きたいところへ強引に引っ張って行こうとするんだ!」

「こいつはひょっとして僕よりも立場が上のつもりなんじゃないのかこの犬畜生!」

 そんな子供らしいヒステリックな感情に駆られ、ある日僕はついミイの横っ腹を蹴り飛ばしてしまった。一度体を動かしてしまうと感情が堰を切り激流を生む。僕は手綱を引き寄せ、立ち上がった彼女に同じように蹴りを浴びせる。蹴れば蹴る程に僕の嗜虐的な欲求が芽吹いていく。正直に言う、僕はその瞬間においては彼女を痛めつけることに確実に興奮を覚えていた。何度か蹴り飛ばした後、呼吸を整えて頭を冷やす。子供の暴力なんかたかが知れているのか、彼女は平然と立ち上がりこちらを見つめてくる。その頃になると僕の胸の内には罪悪感が白々しくも顔を覗かせており、彼女に対し「ごめんよう」とつぶやいてしまう。こんなことを、たまにとはいえ繰り返してしまった。そしてこの事は誰にも話さなかった。これではまるでテレビや小説で見るような、子供を虐待する親の姿そのままじゃあないかと今なら思う。こんな時期から僕はクズ人間としての才能を開花させていたんだな。

 

 さらに月日は経つ。小学校の高学年になるころにはミイの散歩というお手伝いは僕の任ではなくなった。遊びだったりを優先している内にゆっくりと散歩に行く回数が減っていき、元の通りに祖父母が散歩に連れていくようになった。ただ、散歩に連れなくなったとはいえ犬小屋は家の目の前にあったので毎日のようにミイとは顔を合わせていたし、書いたようなマイナスな思い出こそあるけれど基本的には僕はミイの事を疎ましく思ってなどいなく、普通の人が愛玩動物に対してそうなるように、情は移っていた。

 そのまま僕は中学に上がり、高校へと進学していく。ある日、学校から帰ってきた時に祖父が犬小屋の前でミイを指差してこんなことを言う。

「ようよう見てごらんよ。お前さんが帰ってきてミイも尾っぽ振って喜んでるよ。昔散歩に連れてってもらったこと覚えてんだな。こんなに懐いてなあ。」

 まったく勘弁してほしかった。犬が以前の事を覚えていられる動物だものなら、僕になんぞ懐くもんか。尻尾を振っているのは犬が喜んでいる証だなんて、ちっとも信じられないよって。あのクリっとした目だって憎しみの眼差しなのかもしれん、犬の心主知らず。それにもし仮に、本当に喜んでいるのだとしたら、僕は彼女を蹴り飛ばすことで主従関係を刷り込むことに成功していたとでも言うのだろうか。そちらの方が恐ろしい。

 その頃にはもうミイも雑種犬の平均寿命程度の年齢になっていた。以前の様な、元気に走り回る姿も鳴りを潜めてしまっていた。出会ったころなどお互い幼いもの同士だったというのに、僕が大人になるより早くに彼女は老犬となっていた。

もっとも、彼女の老いをはっきりと意識するのはもう少し後の高校卒業前後くらいの時期だっただろうか。夜更かしをしていると、夜中に窓の外から物音が聞こえてくる。そしてミイが、ゴロゴロと喉の奥の奥が震えるようなしわがれた声で鳴くのが聞こえてくる。その声は近所迷惑になってくれるような生命力に満ちたものなどではもうなく、そう近くない内に訪れるであろう別離を意識させる、とてもよわよわしいものだった。それを聞くと僕はとても悲しくなると同時に、過去の行いの懺悔の気持ちがあふれていった。もしかするとこの夜泣きは、目の前の建物の中にいるであろう僕に対する、死を前にした老犬の恨み節ではないだろうかとも思えてしまった。

 

だがここから、こう言ってはなんだがミイは意外に長生きした。時間が経つにつれどんどん活動的でなくなり、ああもうそろそろ・・・なんて思いながらも結局僕が高校を卒業してから4年近く生きた。

僕が旅行でしばらくふらふらしている間に、ミイはこの世を去った。ある朝に祖父が事切れたミイに気付いたらしい。旅行から帰った僕は祖父母から彼女の死を聞かされても、覚悟をしていたような大きな悲しみはなぜだか沸いてこなかった。当然悲しいには悲しいのだけれども、あぁとうとうこの時がきたんだな、とその事実をすんなり受け入れてしまった。あまりミイの話を続けたくなかったので、祖父母の話にただ「そうなんだ」と適当に相槌を打ち、主のいない犬小屋を横目にみて家に入る。せめて亡骸くらいは拝みたかったな、なんて考えながら。死後処理をどうしたとかそんな話にまで発展させなかったので、薄情なことに彼女がどこに埋められたのかも知らない。後後になってミイの死体をどうしたんだと聞くのもなんだか気が引けてしまったので、結局そのままだ。最後の最後までひどい扱いをしてしまった。今度詳細を聞いてみようか、文字にして整理してみるとそんな気分になってきた。

さて随分調子に乗っておセンチな内容を書いてしまった。お付き合いいただきまことにありがとうございました。

 

蛇足。僕が他人を引っ張ったりする人間になろうと思えないのはこの辺の出来事が絡んでたりするんだろうか。