コマミヤンの日記

人がやっているのを見て僕もやってみたいと、そう思い勢い任せで始めてみました。漫画とかアニメとか、そっち系のものが趣味ですけどそんなに詳しくはないです。基本的には自分が何かのタイミングで思ったこととかを書く日記になりそうです。仲良くしていただけたらとてもうれしいです。

時代の波に乗ろう!

 ニュースを見ない。情報を自分から仕入れるということがほとんどない。ネット上のゴシップでしか世の中の動きを追いかけていないので、やれ集団的自衛権がうんたらかんたらとこの国にとってそれなりに大きな転換期を迎えているような気もするのだが、進んで調べる気も起きない。調べたところでどうせ詳細を理解もできないし、流されて生きるしかないもの、なんて考えはよくないんだろうけど。

 政治のニュースと言えば号泣・狂乱・発狂の記者会見の人の方がネタとして上質なものなので、ネットゴシップオンリーの自分には実にホットな話題。このニュースが生真面目なテレビのニュース番組などでどのように扱われているのかは知らないけれど、うっすらと聞いた話では出演者からもあの議員は笑いものとされているような。

 僕も動画サイトなどで彼を笑いものとした動画を一通り見てゲラゲラと笑った。そりゃ笑うよ、記者会見なんて神妙な場であれだけ大人が取り乱してればさ。笑いものにされるのは当たり前、当たり前。しかし同時に恐怖心も覚えるもので、これというのはつまり「いじめられる側にも理由はある」とかいう胸くその悪くなる理論を証明する極端な例となってしまっているから。

 あの議員が実際に金をだまくらかしていた罪人であるかというのは、まあ9割方黒なんだろうけど明確にはなっていない状態で、僕の中ではシュレーディンガーの議員。いや、10割黒だとしても彼が人前で泣き喚くことは別に罪でないし、そこを掬って人格からぼろくそに言うのも犯罪者ならOKというのもなんだかなあ。そんな風に考えてくると、僕はあの議員に親近感も湧いてくる。

 僕も昔泣き虫ですぐに癇癪を起こす人間だった。癇癪を起している最中はもう自分でも訳のわからない理屈を言いだしていることは分かったうえで後に引けなくなって、最終的に何を言ったか分からなくなる。大人になった今、あんな風にならない自信はあるかと言えばちっともない。最近はストレスも溜まっているし、ぎゃあぎゃあ喚いてしまいたい気持ちはある。あの議員の人としての異常性として取りただされる部分はどうも僕にとって身近なものであるようで、うむ、ああはなるまいと心に刻む。

 

 

 さて、まさかのここからが本題です。余談はここまで。こんな湿気たテーマに900文字も使ってる場合じゃないんです。本当はかわいそうな亀と芸人さんの話もちょっとしようかと思ったけど。

 日本のニュースなんかよりね、もっとワールドワイドに、グローヴァルな視点で世界の流れを見るんです。そう、目下世界市民が注目しているものといえばワールドカップの決勝でしょうって。

 まさかのここまで日本戦含めて一試合も観戦していないという無関心を貫いてきたけれども、世界の一大イベントの終幕とあらば流石に、流石にこれは見ないといかんと強迫観念にも駆られるもの。どこが、だれが、世界を握り、天高くそれを掲げるのか。その瞬間をこの目に焼き付けるのだ。決勝に駒を進めたのは・・・なるほど、ドイツとアルゼンチンチンね。

 しかしただ観戦するというのもサッカーについて無知なので面白くない。ということでこの僕チンが今からグーグル先生にお尋ねしまして決勝戦の注目ポイントを予習。その上でズバリ、ワールドカップ決勝を大胆予想!といこう。

 やはり準決勝でブラジルから7点もぎ取ったドイツの方がどうしても勝ちそうなイメージ。「優勝するのはどいつだ?ドイツか!」なんてどいつもこいつも言ってるらしいが、アルゼンチンだって負けていない。選手を調べてみるとホセという選手、リカルドという選手がいる。これはあしたのジョーとはじめの一歩という二大ボクシング漫画においてそれぞれ世界の頂点に君臨するチャンピオンの名前なので恐らく相当強い。ついでにメッシというすごいのがいるから強いので優勝の可能性は全然有るぜのアルゼンチン。

 得点力に注目しよう。アルゼンチンは得点をバカスカ取って勝ち上がってきたわけではないようだ。一方ドイツは準決勝の7得点もさることながら、予選では強豪っぽいポルトガルを4-0で下している。ドイツにいるクローゼ選手はブラジル戦でW杯史上最多得点となる16ゴール目を記録したらしい。この記録というのが決勝でさらに上書きされるかというのも注目ではあるが、これが邪念につながる可能性はどうか。一瞬でも「ボールをクローゼに送ろーぜ」なんてダジャレが頭をよぎってしまったらプレイに精細さを欠いてしまうのではないか。こうなると俄然アルゼンチンが優位だ。相手が余計なこと考えてる隙にちゃっかりゴールといこう。

 以上のような緻密なプロファイリングを積み重ねた結果、アルゼンチンが2得点、ドイツが0か1得点でアルゼンチンの優勝と見る。流れとしてはアルゼンチンが前半で1得点。後半にドイツが追いつくか微妙なところだが、ラスト15分くらいのところでアルゼンチンが再びゴールを割る。どうだろうか。もちろん、ドイツがこの僕の予想を上回りフォルコメンハイトな結果になるのも一興。

 ようし観戦意欲が湧いてきた。Take me out to the ball game!

 さあ、運命のキックオフは・・・えっ、朝4時?仕事・・・眠・・・えぇ?頑張ろう・・・

 

twitter

http://twitter.com/tanstaafl74

くちくしてやる

 例年に比べるとこの時期にしては涼しく過ごしやすい日々でないだろうか。とはいえ暑くないでもなく、何をせずともベタリとする体に夏と言う季節の訪れを感じる。しかし僕にとって、何よりも夏が来たぞと感じさせるもの、それは物陰からひょっこりと姿を見せるゴキブリちゃんである。この子を見ると、あぁ今年もまた暑くなるであろう夏に思いを馳せつつ・・・おぞましく蠢く黒光りした存在に肝が冷やされる。ああ嫌だ嫌だ。夜に喉が渇いて冷蔵庫に向かうために明かりを点けるときなんか、高確率でこんにちわわわ。

 最近ではゴキブリと戦うことが漫画の題材になっている程にメジャーな嫌われ虫であるこのゴキブリに匹敵するレベルで、僕には天敵と呼ぶべき虫がいた。漫画の主人公達が異星人や巨人やゴキブリと相対したように、僕にもその虫との激闘の記録がある。

 

 ゴキブリレベルだなんて一体どんな異形の生物かと思われるかもしれないが、その虫というのはカメムシのことである。そして、テントウ虫を少し角ばらせたような形のマルカメムシという種類のカメムシこそが僕にとってゴキブリ並の、いやゴキブリ以上の天敵であった。

 世の中の人がどの程度このマルカメムシの被害にあっているのかは把握していないけれど、子供の頃は暖かい時期になるとコイツがそこかしこに姿を現し、少し刺激してしまえばカメムシの名に恥じぬ臭気を発していた。

 最初の頃、カメムシと言う固有名を知らない幼い僕はこの虫を単にクサイムシと呼称し、それがそのまま我が家でのカメムシを指すものとなった。外に干した洗濯物に引っ付いていることが多く、もし存在に気付かずに着衣してしまえば・・・そう、たいへんにたいへんだ。一度誰か(兄だったろうか)が寝ている間に口に入ったマルカメムシを噛んでしまうという、地獄の刑罰としても上等な部類に入りそうなおぞましい経験をしていたような、ともかく潰してしまえばこちらが白目を剥くほどのニオイを発するこの虫が現れた時の対処法は、虫だけに無視(ドヤ)をするのではなくガムテープに引っ付けてやりそのままゴミ箱へポイというのが我が家のやり方だった。ただ、そんな風にたまに現れる程度ならゴキブリ程の畏怖の念は抱かない。ではなにがあったのか。ある年このカメムシが「我が家周辺でのみ」異常発生する事態が起きたのだ。

 忘れもしない、あれは夏休みが終わり2学期が始まった丁度その日。僕はヘチマを抱えて(授業の一環として育てていた)家に帰ると、大量のカメムシに取り囲まれたのだ。最初は自分の周りを飛んでいる虫はハエか何かだと思ったのだが、服に飛びついたその姿を見て戦慄した。自分はあのクサイムシにたかられているのだと。

 こんなことは今までなかった。確かにこのクサイムシには毎年悩まされてはいたが、一度に三匹も現れれば「沢山」と表現するような遭遇率。だというのに自分を取り囲んでいるこの数は・・・正確には分からないけれど片手では数えきれないのは確かだった。僕は持っていたヘチマを家の扉の前に置き、叫び声をあげながら隣の祖父母の家へ向かった(両親は共働きで、家の鍵は祖父母宅に預けてあるのだ)。クサイムシにたかられながら祖父母の家に入り、服に着いた虫をはじく。多少虫を刺激して臭いのは仕方がない。

 室内に逃げ込み一息ついた僕は祖父母にこの異常事態を伝えたが、老人らしくのほほんとしている。窓越しに外の様子を眺めようとすると、手前に斑点が見える。少し気を使って見てやると、網戸のそこかしこにクサイムシが貼り付いているのだ。

 思い出すだけでもおぞましい。僕は鍵を手に全力で家まで走り、開錠し、そのままその日は家から出なかった。なんで祖父母宅で待機しなかったのかは覚えていないや。少しすると兄も息を荒げながら家に上がってきた。兄もまたこの異常事態に恐怖していた.。

 翌日以降は家の外に出ても浮遊するクサイムシに取り囲まれるというようなことにはならなかった。だが「一体いつの間に家の壁を塗り替えたのか」と両親に尋ねたくなる程度には、我が家の白い外壁には黒い斑点模様がデコレートされていた。我が家は完全に包囲されたのだった。

 僕が通っていた小学校は我が家の目と鼻の先に立地していたのだけれど、その距離にあって学校にクサイムシの姿は見られなかった。これは一体全体どういうことなのか、本当に我が一族のみが奴らの標的となってしまったようだ。

 ガムテープで張り付けて、なんて対処法をこの大群に取れるわけもない。かといってこれだけの量の虫を無視(ドヤ)することもできぬ。そのうちに僕と兄はシビレを切らし、強硬策に出る。虫と言うのは少し大きさを伴っていると叩きつぶすのには抵抗がある。加えてカメムシは潰れた瞬間にこそ最大の汚臭を発する。それを重々承知した上で僕らの出した結論は「叩きつぶす」、流行の表現で「駆逐してやる」だ。

 僕らは古新聞をたたみ、ハリセンを作成。そして左手で鼻をつまみながら、壁に貼り付くクサイムシに向かってバシバシとハリセンを叩きつける。つまんだ鼻の隙間からも臭気は入り込むが、すぐに「臭えの上等じゃコノヤロウ!」といったハイな状態に陥り、鼻をつまむのもやめて僕達兄弟は殺戮の限りを尽くした。息が上がるまでハリセンを振り回したところで頭が冷え、改めて嗅ぐ汚臭に音をあげ家の中へと退避。

 学校に通い、授業が終わればカメムシ退治。こんな日々を繰り返してもクサイムシの勢力に陰りはなかなか見えなかった。そのうちにもう一段階シビレを切らした兄がライターと殺虫剤の即席火炎放射機による汚物の消毒に奇声をあげながら踏み出した。どこの世紀末だと突っ込んだそこの君、実際その頃時はまさに世紀末だったんだぜ。そうそう、書き忘れていたがこのクサイムシに手持ちの殺虫剤はいくら吹きかけても効かなかった。火炎を壁に吹き付けるわけにもいかずにロクな成果も得られなかったが、一度一体のクサイムシをガムテープで捕獲し、見せしめとして火あぶりにしてやった。もちろん効果はない。

 稀にマルカメムシでない、普通のカメムシが現れた。形も大きさも違うけれども、彼らが同種であることは祖父の持つ昆虫図鑑で確認していた。僕と兄はこのプレーンなカメムシを周囲のマルカメムシを率いている中ボスと位置づけ、潰すのをためらうサイズだったので対処は広告などでくるんで捨てるといったものだった。

 中ボスを処理することには少しの達成感があったが当然中ボスなんて設定は幼い兄弟の妄想でしかなく、状況はなにも変わらない。そんな中、我が軍最大の戦力は躍起になった僕達子供ではなく、特にこの事態に危機感も抱いていなかった祖母だった。祖母は夕方になると庭に現れ、木々の新芽に隙間なく群がったクサイムシ(思い出しただけで怖気がしてきた)を見つけると、その芽を根元から切断して落ちた十数匹のクサイムシをまとめて足で踏みにじる。僕はまずそんなところがクサイムシの拠点だったとは知らなかったし、それが分かったからと言って虫だらけの新芽に指を近づけるのも躊躇うし、まとめて足で踏みつけるなんてとても出来ない。老兵はつよし。

 この「マルカメムシの乱」がおさまりを見せるのは辺りの空気に鋭利さを感じ始める10月の半ばから11月頃の時期だった。日に日に姿を現すクサイムシの数は減り、そのうちにいなくなった。これは単純に生命が活動的になる季節が終わりを迎えたというだけで、僕達の戦いの成果ではない。というのは今ならば当たり前に理解しているけれど、当時の僕達はこれを自分たちが勝ち得たものであると信じた。というか、もうこの戦いに辟易としていたのだけれども、もはや後ずさることは許されないとヤケになっていた僕達は「時間が解決した」という事実を認めたくなかったのだ。僕達は勝利したんだ、あの恐るべき侵略者から地球を守ったのだと、いつの間にやら妄想内で壮大なスケールと化したこの騒動に明確な終止符を我々の手で打たねば、まったくやってられるか。僕達は疲れていたのだ。

 だがひょっとすると僕達はあの時本当に勝利と言うものを握りしめたのかもしれない。というのも、その翌年は異常発生する以前よりもクサイムシの出現頻度が少なく感じ、実際にそこから年々彼らの姿は減少していった。そして今では夏が来ても、彼らの姿は滅多に見られない。「あそこには近づくな」とカメムシネットワークでの伝達でもあったのではないか。とにかく謎である。

 以上が「マルカメムシの乱」の顛末である。余談だが、当時の学校の担任は週末になると一週間のうちに起きた出来事を作文として週明けに提出するという宿題を出していた。僕はこの騒動がおさまる約一月半の間、時に新兵器による対処法を実験してみたり、時に友人の力を借りと、毎週どのようにカメムシに対応していたかを作文として提出していた。教師からは「お疲れ様」といったようなコメントが返って来ていたが、まぁ反応に困っただろうな。

 

twitter

http://twitter.com/tanstaafl74

想像上の存在

 あいつら、みんな、こういう連中。ある程度の人数を勝手に一括りにして捉えてしまうというのはよくあることで、僕もそういうクセがある。分かりやすいところで「最近の若い奴らときたら」なんて談義では、「最近の若い奴ら」となどと複数形の物言いでありながら、談義の中では大きな一体の存在が創造されている。少しでも似た部分を持つ輩を一つにまとめてモノゴトの本質でも覗いたつもりになっているというのは頭を使う手間を惜しんでいるくせに頭を使った気にさせるから要注意。勝手に一括りにした上で、一つの人格をもった空想上の巨人を作り上げてしまう。大抵の場合その巨人は都合良くアキレスのかかとを晒した状態で創られるのだけど、僕の場合はかかとまで冥界の河に浸かった存在を生み出してしまい、そいつに勝手に打ちのめされて一人で落ち込む。

 「最近の若者」なんて括りの話も今では「老人のたわ言」として嘲笑の対象として扱われやすいのだけれども、こういった無理くり一括りにした表現というのは世の中に溢れていて、多くの場合「なるほどね。そいつぁ確かに」と納得してしまうことも多い。ツイッターなんぞを眺めていると若者の逆襲なのかしらん、バブル期を生きた人間を一括りにして老害と扱ったり、数人の政治家を例にとって日本の中心が云々と語ればそれなりに多くの賛同が得られるらしい。

 「○○だと政治家連中が言ってやがるけどさ、あの件じゃ××だっていってるじゃん。矛盾じゃないか。これだから・・・」と鬼の首を取った気になってしまってはいかん、引用した発言が一つの口から発っせられたものであることは少ない。のだけれども、そうだそうだその通りじゃないかとの声は不思議とあがる。

 

 そしてその「そうだそうだ」の賛同の声が集まることで、どこかの誰かの発した見当違いかもしれない思想がネット内の総意であるかのように錯覚してしまうのが僕。ツイッターで言えば、多くのリツーイがされているツイートが、ツイッター上に住む巨人の一つ口から発せられたものに思えてしまう。実際のところは発信源もリツイートしている人も別人(もちろん同じ人もいるだろうが)なのだけれども、総じて「お前ら」なんて表現をしてしまう。

 僕自身ときたらいわゆる中二病を患っていて「俺を他の奴らと一緒くたにするんじゃないやい」なんて自意識の持ち主のくせに、ネット内で少し賛同の多い意見を目にするとそれがネットの住人の総意のように捉えてしまうのだから情けない限りである。ネット内には多数派の意見を常に持った存在、大声を上げる巨人がいてその巨人を常に意識してしまう。そんな存在なんていないというのは理解していて、ネットの世界と言うのは個人が個人のままでいられる空間であると信じてはいるのだけれども、この空想の巨人が常に僕の前に立ちふさがる。

 

 上記の事を理解した上で今後もある程度の人間を勝手に括ってあーだこーだと発言することが多々あるだろうけれども、その辺はちょっとしたジョークとして捉えてもらえればありがたい。というか僕の発言が徹頭徹尾ジョークであるのだけれどもね。

 

なんかもうちょっと長く書こうとした内容だった気がするけど酔った頭なのでこの辺でGO

 

Twitter

http://twitter.com/tanstaafl74

水の都(埼玉)

 梅雨入りと言うことで雨の降ることが多く、駅まで自転車で通勤している身としては少々しんどい。しかし昔はこんな時期だろうと、地元の駅以上の距離のある高校まで自転車で通学していたのだと振り返ると、昔はタフネスだったなと老いを感じる今日この頃。

 先々週辺りは「梅雨の時期だから」で済むのかと思うような雨量が連日続いた。もうこれは異常気象と言っていいのではないか、などと考えていると一つ思い出したことがあった。そしてさらに、その内容でブログを更新でもしようかなと考えていたことを、これまた最近思い出した。少々タイムリーでない内容なのだけれども書き起こしておこう。

 

 連日の強雨の中、僕は車を運転していた。目的地に向かう途中で先程言った高校時代の通学路を通ることになったのだが、そこは大雨の際に冠水することでおなじみの団地だったため「迂回してください」との看板が下げられていた。ただその看板は休日の朝と言うことで置きっぱなしのものだったのかしらん迂回する必要はなかったかもしれなく、通るはずだった道との合流地点では普通にその道からの車が合流してきていた。連日雨が強かったとはいえ、台風などの大嵐とまではいかなかったのでそこまで派手な冠水ではなかったのだろう。

 高校での3年の内その団地が豪雨で水浸しになるというのは何度か目にしたが、とりわけて大きな豪雨の際、その団地にはなんとゴムボートが出張する素敵な配慮がなされる。雨が好きな人なんてのは当然少ないだろうが、幼いころに水浸しの道路で遊んだり、水の溜まった遊水地に自転車で突っ込んだなんて経験は多いだろう、そんな感性を持つ人にはたまらないこのシュチュエーション。当時、特に理由もなく遅刻欠席を繰り返していたスクールエスケイパーの僕がそんな状況で登校を優先させるわけもない。そのゴムボートは同じく冠水しきってしまった小学校に生徒が通うためのものであり、数人の小学生をのせ、恐らくPTAかなにかの人がボートを漕ぎ小学生を送る。僕はのんびりと、迂回もせずに遅刻を確定させ、小学生が登校しきるまで待つ。役目を終えたボートはその場に放置される。僕の少し後からその場にやってきたH君と顔を見合わせると僕らはその場に自転車を置き、黙ってそのゴムボートに乗り込んだ。

 このボート、推進力は櫂なんて上等なものは用意されていない。ただの長い竹棒をつっかえ棒にして水底のアスファルトを突っついて進むのだ。用意された棒は一本だったか二本だったか、とにかく二人でもなかなかうまく進まなかった。まっすぐ進もうとすれば一本で真後ろの部分を強く突っつかないと進まない。ずれればグルグル廻ってしまう。二人でゲラゲラと笑い試行錯誤しながら住宅街に入り込んでいく。僕らが学校をサボっているダメ学生であることは一目瞭然だろうに、冠水の対応に追われている人達は僕らを見て笑顔でおはようなんて挨拶してくるものだから僕は苦笑いを浮かべるしかない。「頑張ってね」って、なにをだい。当時はアニメ・漫画で人気のARIAがあり、感覚的にはゴンドラ漕ぎで、まさしくここはヴェネツィアですよと思いながら水底をこつんこつんと突っついていたっけか。

 下品な笑い声を辺りに響かせながらその日は一時間くらいボートを漕ぎ、結局それに満足して学校に行かずに家路についたのだった。その途中で僕の自転車のチェーンが外れてしまったけれど、H君は意に介さず僕を置いて帰宅してしまったけか。あぁ懐かしき水没都市。僕のロクでもない青春の一ページをありがとうよ。今でも大雨の日にはボートは駆り出されるのだろうか。

 

twitter

http://twitter.com/tanstaafl74

W杯開幕

 こんにちは。ワールドカップの思い出と言えば、2002年の時に侍というスポーツ飲料がワールドカップに合わせて発売。それを飲んでいる横で当時同級生のB君がラベルのないペットボトルで、恐らくはお手製であるやや赤みのある酢いた飲み物をこれは侍に対抗して作られた「ゲイシャ」だと言い切っていた、そんな思い出ぽろぽろ。

 いやー始まりましたねって、すでに我らがザックジャパンのお侍さんがブルーになっているんですがね。次の相手はギリシアだそうで、僕の頭の中では車田正美漫画で言う「ギリシア12神」や「黄金聖闘士」がチラつくのでとんでもない化け物のイメージしか浮かばないけれど、さて実際のチームは。運命のキックオフは6月20日で結果はどうなるか分からないけれども、その翌日は完全フルCGで描かれる「聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY」の公開日なので、もし負けてしまっても青銅聖闘士達が黄金聖闘士を打倒してくれるのでそっちを見に行けばいいと思います。もちろん日本代表の方々も大いに小宇宙を燃やして黄金聖闘士を撃破してほしいと思っています。頑張れニッポン。

 

 さてここまで僕の持ちうる限りのサッカー知識を振りしぼってワールドカップについて語ってきましたが、そうです、無知です。世界中がわいわいと盛り上がるこの祭典、興味そのものは十分にあるけれども、どこの国にどんなスター選手がいて、どことどこの国のどんなぶつかり合いが見物だとかも普段からサッカー情勢を一切追いかけていないので結局結果とスーパープレーダイジェストだけを見れば満足できそう。

 スポーツ観戦自体がそれほど好きでなく、僕にとってサッカーはその中でも特に見る気の起きないスポーツだったりする。僕はサッカーの見方があまりわからないので1試合2時間もテレビに喰らいつく気になれない。知識がないと戦略だとか一つ一つのプレーにある上手さとかそういうのに気付けなくて、結局ゴールネットが揺れる瞬間しか盛り上がれない。2時間眺めてその瞬間は大体2,3回しかないわけで、どうしても素人目ではだれる。これが野球やテニス、バレーなんかの一試合にかかる時間が決められていない種目なら最後まで逆転があったり、展開も点数が一斉に入ったりとスピードがあるので見ていてハラハラできるけど、サッカーはどうも。

 僕の中ではサッカー観戦は玄人向けのもの。だけれども僕の周囲はサッカーに詳しい人が多いし世間も熱気に包まれているので、サッカー知識ってものはすっかり普通持ってなきゃいけない一般常識になったのかと思えてくる。今日も仕事場では部署の方々がサッカー談義で盛り上がっていた。眠れない日々だそうだ。高校時代の知人達は「交錯する思い!」「交錯する思い!やばい!」と謎の盛り上がりを見せていた。彼らはドイツとかその辺りの国の試合の時にやたらとはしゃぐ。

 個人的な思い出では、サッカー観戦には小学生の頃に父親に連れられ浦和レッズの試合を幾度か見に行ったことがある。2時間オーオー言って、たまに点が入って盛り上がるけど、事あるごとに父親のものを含めた野次が飛び、この人たちはなんで選手に対して上から目線でモノを言うのかと随分嫌な気分にさせられた記憶がある。この記憶もスポーツ観戦が苦手なことに一枚噛んでいると見る。

 観戦でなく実際にやる方に関して言えば、昔体育の授業でサッカーをやることになってもクラスのヤンチャでイケイケなグループがひたすらオフェンス、僕らは後方守備。なんとか前線にボールを蹴飛ばすだけがお仕事。調子に乗ってドリブルでもすれば早くパスしろと怒鳴られ、点を取られりゃ舌打ちされる、こんな思い出。偏見だろうがインターネットのような仮想空間に拠点を置くタイプの人なんかにとってもサッカーの思い出って概ねこんなもんではないだろうか。

 サッカーに関していい思い出がちっともないので、例え非国民だと罵られようとも世間と同じだけの熱量を持つことはできない。けれどもこれは僕の問題なので、世間がワールドカップで沸くのは大いに結構。代表の方々には気張ってもらい、予選突破が叶うよう願っている。決勝は見ると思う。オーレオレオレオレ。

 

 

Twitter

http://twitter.com/tanstaafl74

偽物志向

 

 最近昼食はコンビニ飯で済ませている。今のバイトにありついた頃なんかは精力的に仕事場付近の飯屋をいくつも開拓していったのだけれど、毎度毎度700円以上のものを食べられるほどのセレブでもないので最近はその昼飯代も500円くらいを目安にしている。駅前まで歩けばチェーン店の牛丼屋やラーメン屋があるけれど、どうも胃袋が「今日はそれしかない!」となっていない場合には、ある程度メニューに幅を持たせられる近場のコンビニで済ませようとなる。

 とはいえコンビニ飯というのも、それなりに量を食べようとするとそんなに安上がりになるものでもない。出来合いの弁当や麺類なんかを一つじゃ物足りなく、そこにおにぎりや味噌汁を足そうものならよほどその辺の定食屋に行った方が安い。

 そんな僕らの心強い味方、インスタント食品。コンビニでもプライベートブランドのものならその辺の安売り並の価格で買えるのでとてもよろしい。カップ麺に限らず、仕事場ではレンジも使えるので冷凍食品までOK。これでバリエーションがグンと増す。近場のコンビニというのはセブンイレブンなのだが、今のところ「カップみそ汁+冷凍焼きおにぎり二個入り+から揚げ5個入り」辺りが一番多いパターン。主食に汁物とお肉を足して500円未満で満足。なめこの味噌汁がんまい。

 カップ麺をメインに据えた場合、さらに安く上がる。カップ焼きそばなら200円程で結構な量だし、カップラーメンなら汁物も兼ねてくれる。冷凍ギョーザは5個で100円(税抜)だし、ちょっとしたラーメンセットにまで持って行ける。

 

さて一番多いと言ったパターンではカップ麺は利用していないけれども、ここからはそのカップ麺に関して。

カップ麺の新商品と言うのは毎週発売されており、それが旨いまずいにあまり左右されずにある程度の期間で消えていく。結局いつも棚に並んでいるのは定番商品であり、セブンイレブンの場合は一風堂などの有名店モノは常にあるけれども、そういった本物志向の商品で息の長い商品は少ないように見える。

もはやカップ麺というものはイミテーションを通り越して全く別の料理になった感じがする。発端は確かに自宅で手軽にラーメンを、だとかそんなものなのかもしれないけれど、もう偽物として存在している間に妙なパーソナリティが宿ってしまったような。そして最もわけのわからぬ存在となったのがカップ焼きそばである。

元々「これ焼いてねぇじゃん!」というツッコミは多々あったと思われるが、昨今のカップ焼きそば事情は混迷の極みにある。たらこ味なんかは麺以外完全にたらこスパゲティの味付けで、もはや焼きそばどころかパスタ寄り。ぺヤングから最近はナポリタン味が発売。焼きそばとはなんだったのか。そしてもはや言葉遊びで生まれた、そば粉の入ったカップ焼きそば、お前は一体なんだ?

一方で激辛路線に走る商品もカップ焼きそばには増えてきた。その動きが活発になったのはぺヤングの超激辛の登場によるものが大きいとみる。激辛の名を冠する商品の大半がちょいと辛い程度だったところに本当に容赦のない辛さを投じ、これが一部の激辛マニアのみならずネタ成分含みで広くウケた。この激辛ぺヤングが受け口を広げたようで、今もコンスタントにあちらこちらのメーカーが激辛をウリにしたカップ焼きそばを発表している。ちなみに僕は激辛マニアとまではいかないけれどもそれなりに辛党であり、激辛ぺヤングは大好物だったりする。他の商品も試してはいるのだけれどもさほど辛くなかったり、辛いには辛いけれど旨さがなかったりと、ぺヤングには一歩も二歩も及ばないものばかりに感じる。僕は決して辛さに耐性は決してないのだが・・・辛党論に関してはここでは割愛する。

 

さてところで、これは7・8年程も昔の話になるだろうか、「焼いてないのにカップ焼きそば」という揶揄に真っ向から立ち向かった商品「ほんとに焼いたカップ焼きそば」なるものがエースコック辺りから出ていたのを皆様お覚えであろうか。これは麺に実際に焼き目が施されており、出来上がりは従来の商品にはない香ばしさのあるものになるという商品。ある意味ではこの商品が並み居るカップ焼きそばの中で最も混沌とした商品であるような気がする。なぜってこれ、唯一と言っていいかもしれない「本物志向」として作られたカップ焼きそばなのだけれど、すっかり本物を勘違いしたものだもの。

これは昔ラジオで伊集院光氏が言っていた言葉で、そもそもの焼きそばからして「焼く」って言うより「炒める」という調理法だと。本物志向の一つの答えとして焼き目という答えに辿り着き、確かにこれで「焼き」そばっぽくはなったけど、まてまて僕らの知っている焼きそばは麺に焼き目なんぞない。これまでのカップ焼きそばは焼きそばに非ずとして生み出されたものが更なるイミテーション料理であったというこの路線の商品、僕の記憶している限りでは3種類は発売したような気がするけれど、ここ6年は見かけいないので「あ、これなんか違うぞ!」とエースコックが気付いたのだろうか。ちなみに味に関して僕は「もう何が何だかわかんねぇけどうめぇぞこれ!」なんて言って結構食べてた。また発売してほしい。

書いている途中で思い出したけれど、湯切りで湯を少し残して「あんかけ」を再現する商品もあったあった。あれも旨かったけれども最近見なくなった。麻婆豆腐カップ焼きそば(なんだこれ)は結構ハマって沢山食べてた食べてた。

汁のないものに関してとにかく焼きそばということにしようという感はあるけれど、油そばとかまぜそばに関してはそのままの名前な辺りにラーメン的なものが持つ神通力を感じる。汁なしカップ麺のラーメン的なカテゴリー以外の「その他」の部分が全部焼きそばとして分類されていてとても混沌。夏はカップ焼きそばに色々新商品の出る時期なので楽しみ。

 

twitter

https://twitter.com/tanstaafl74